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現代GP「東北アジア地区交流による実践的技術者育成」活動記録

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 12.コムソモリスク工科大学訪問(平成20年12月19日~25日)
機械工学科教授 吉田政司
 コムソモリスク工科大学と学術交流協定を結ぶために、幡中校長、福地(物質工学科教授)、吉田(機械工学科教授)の3名がコムソモリスク工科大学を訪問した。その活動内容を報告する。
 12月19日に宇部から福岡へ移動し、空路、仁川(韓国)に移動した。
 20日に仁川からハバロフスクへ移動した。仁川を12時に飛び立ち16時にハバロフスクについた。時差が1時間あるため、実際の飛行時間は約3時間である。ハバロフスクは気温-20℃前後で、とても寒い。ハバロフスク空港からホテルへはタクシーで移動した。ハバロフスクの日没は4時ころであり、5時には真暗になる。ハバロフスクの街の様子は写真に示すとおりである。雪は、それほど多くなく、車道、歩道の必要な部分は除雪されている。

ムラビヨフアムールスキー通り(ハバロフスクのメインストリート)
 21日は、朝10時30分に、シュピーレフ(Shpilev)コムソモリスク工科大学学長、ニキチン(Nikitin)副学長が、我々が滞在しているホテルに迎えに来られ、一緒にハバロフスクの日本領事公邸を訪問した。日本領事館は、11月にコムソモリスク市で日本映画の上映会を行っており、その折に、貝谷総領事がコムソモリスク工科大学のシュピーレフ学長と面会している。その会談で宇部高専の訪問を知り、今回の領事公邸での会談となった。貝谷総領事は本校のホームページをご覧になっており、専攻科2年生、阿南君の書いたコムソモリスク訪問記事についても、よくご存じであった。

ウスペンスキー教会(ハバロフスク)

凍るアムール川(ハバロフスク)。朝9時に撮影。
 会談には日本領事館の貝谷総領事、武藤領事、内田副領事が出席した。日本領事館では、ロシアを訪れる日本人(行政、商業、教育、文化、観光などの諸目的での渡航者)への情報提供、ロシアで犯罪に遭った日本人の保護、ロシア人が来日するためのビザの発行などを行っており、日本人スタッフ12名とロシア人スタッフ12名が働いている。日本人スタッフは貝谷総領事も含めて全員、ロシア語が堪能である。内田副領事は文化交流を担当し、日本文化のロシアへの紹介や大学間交流の仲介などをおこなっている。今回の領事公邸での会談は、日本領事館として宇部高専とコムソモリスク工科大学との交流の内容を知っておきたいことと、日ロ交流を活性化してほしいという貝谷総領事の要望を伝える目的で行われた。
 会談の後、1時に領事公邸を出発し、コムソモリスク工科大学の公用車(日産ARMADA)でコムソモリスクに移動した。途中、ドライブインで休憩してウヲッカで体を暖めながら親睦を深めた。シュピーレフ学長は、あまり英語を話さないが、ニキチン副学長はきれいな英語を話す。ハバロフスク-コムソモリスク間の距離は約350kmである。道路は、車が、ぎりぎり走る幅だけ除雪されているので、熟練したドライバーで、かつ性能の良い車であれば、制限速度である時速90kmのスピードで走ることができる(かなり怖い?)。途中には、小さな部落が2,3あるだけで、ほとんどが原野である。多少の上り下りはあるが山らしい山は無い。
 コムソモリスクに到着したのは夜7時である。コムソモリスクは-30℃前後であり、ハバロフスクよりもさらに寒かった。

日本領事公邸での会食風景。グレーのネクタイの人が貝谷総領事。

貝谷総領事、シュピーレフ学長(右から3人目)、ニキチン副学長(同2人
目)との記念撮影。貝谷総領事が持っている絵はシュピーレフ学長から
貝谷総領事へのプレゼントである。

コムソモリスクの街の風景:ハバロフスクより少し雪が多い。

朝9時のレーニン通り(コムソモリスクのメインストリート)。8時過ぎか
ら明るくなり始め、完全に夜が明けるのは9時過ぎである。

我々が宿泊したVOSKHODホテル(コムソモリスク)。宿泊料は日本の
シテイホテル並みで、設備は日本のビジネスホテル並みだった。

コムソモリスクの教会(正確にはカテドラル)。ロシアの教会は屋根が
青色または金色である。

コムソモリスク工科大学。VOSKHODホテルから歩いて3分で行ける。
 22日は、朝10時から、コムソモリスク工科大学の会議室でシュピーレフ学長、ニキチン副学長、アナトーリ(Anatoly)電気工学部長、ボリス(Boris)機械工学部長、バシリー(Vasily)エコロジー学部長、オルガ(Olga)言語学部長、および経営学部長(事前に用意された予定に名前が記載されておらず、失礼ながら名前が不明である)と会談した。まず、シュピーレフ学長からコムソモリスク工科大学の紹介を受け、幡中校長が宇部高専の紹介をおこなった。そのあと、各学科長が、それぞれの学科の簡単な紹介を行った。使用された言語はロシア後と英語で、ロシア語から英語への通訳はベレッキー(Beretsky)国際交流室長がおこなった。

コムソモリスク工科大学の学科長との会談風景
 午後は機械工学部材料工学科の見学をおこなった。キム材料工学科長と私(吉田)は、7月の訪問時にも面会している。そのときから5カ月しか経過していないが、研究室には新しい超音波計測装置が導入されており、今後さらにインストロン社(英国)製の万能試験機の導入も決定しているということで、ロシアでは、経済発展に合わせて、実験装置の近代化(欧米の実験装置の導入)が急速に進展している印象を受けた。キム材料工学科長とは、今後、具体的に交流を進めるための方法について相談した。

 23日は、午前中はバシリーエコロジー学部長、およびイリーナ(Irina)エコロジー学部生活安全学科長と会談した。生活安全学科は人々の安全な生活への危害防止について研究する学科であり、環境問題や自然災害などの幅広い分野を研究対象としている。ただし、ロシアでは、空気や水の汚染を測定する技術が進歩していないため、化学分析的な研究よりも、現象の数学モデル化の研究が中心となっている。生活安全学科では、毎年、国際シンポジウムを開催しており、福地教授が、来年5月に行われるシンポジウムへの招待を受けた。
 エコロジー学部との会談の後、幡中校長が地元テレビ局から、今回の学術交流協定締結の目的について取材を受けた。幡中校長は、宇部市の「東北アジア機械産業都市連合」活動と本校の現代GPプログラム「東北アジア地区交流による実践的技術者の育成」について説明された。その後、電気工学部、航空学部を見学した。電気工学部ではコンピューターとIC回路を用いた自動制御装置を見学した。ちなみにロジアでも、パソコンは日本製や台湾製であり、OSはWINDOWSが使用されている。日ロ間のファイルの交換なども容易に行える。
 航空学部では航空機やジェットエンジンの展示を見た。コムソモリスク工科大学では航空学部が一番人気が高く(つまり難易度が高く)、2番目は造船学部である。

エコロジー学部との会談。左端がバシリー学部長で右端がイリーナ
学科長。ほとんど彼女の独演会であり、ロシアでは女性の地位が日
本より高い印象を受けた。通訳はベレッキー国際交流室長がおこな
った。

地元テレビ局のインタビューを受ける幡中校長。背中はベレッツキー
国際交流室長で英語をロシア語に通訳している。場所はエコロジー
学部の会議室。後ろの棚には鉱石が展示されている。

航空学部のジェット機の展示。ばらしてから運び込み、屋内で組み立
てたそうである。

電気工学部の自動制御装置の展示。説明者はアナトーリ学部長。

日本語専攻の学生との交流の様子。学生は、カチューシャと、日本人
訪問団の誰も知らない、中島美嘉の難解な歌詞の歌の2曲を歌った。

言語学部長との会談。中央の赤いシャツの女性がオルガ学部長。青い
シャツの女性は通訳のマリーナさん
 午後は、言語学部を訪問し、日本語を専攻している学生と会談をおこなった。学生は日本語の寸劇と、日本語の歌を披露してくれた。その後、オルガ言語学部長と交流の進め方について話した。言語学部は学生数250人で、第一外国語として英語を学習し、第二外国語は、日本語、中国語、ドイツ語、フランス語の中から選択する。言語学部は5年制であり、修了するとスペシャリストの称号を受ける。スペシャリストは日本には無い制度であり、大学で4年間、学修することで得られるられる学士と、6年間、学修して得られる修士の間に位置する称号である。学生は英語が非常に堪能であるが、日本語のレベルは低い。コムソモリスク工科大学では、日本語を選択する学生のために、毎年7月に、日本で3週間の研修を行っている。我々は、本校の教員を派遣して、日本語の講義を行うことと、英語の講義を見学させてもらい、英語教育方法について意見交換することを提案した。
 すべての会談と視察を終えたあとに学術交流協定締結の調印をおこなった。調印はシュピーレフ学長、ニキチン副学長とベレッキー国際交流室長、マリーナ国際交流室員の立会で行われた。調印のあと、プレゼントの交換が行われた。幡中校長は、来年3月に、シュピーレフ学長、ニキチン副学長と日本語教師、および数名の学生を宇部に招待したいことを申し出て、スケジュールを検討してもらうようにお願いした。
 今回の訪問では、宇部高専とコムソモリスク工科大学間の学術交流協定を結び、かつ、今後の交流について踏み込んだ話合いを行うことができて、非常に有意義であった。
 24日は、往きと同じ日産ARMADAでハバロフスク空港まで送ってもらい、空路、仁川まで移動して宿泊し、翌25日に日本に帰国した。

学術交流協定書にサインする幡中校長とシュピーレフ学長。

学術交流協定書へのサイン後の記念撮影

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