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現代GP「東北アジア地区交流による実践的技術者育成」活動記録


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 16.ハルピン工業大学(威海)、温州大学訪問(2009海外インターンシップ1)
    (平成21年9月1日~6日)
吉田政司(専攻科長)

 平成21年9月1日から9月6日まで、伊藤(経営情報教授)、福地(物質専攻教授)とともに専攻科インターンシップとして生産システム工学専攻1年、山内、杉井、鍵山の3名を引率してハルピン工業大学(威海)を訪問した。専攻科生は9月14日までハルピン工業大学(威海)でインターンシップを続けたが、吉田と伊藤は9月6日に専攻科生と別れ、移動日をはさんで、9月7日、8日に温州大学を訪問した。その活動の概要を記す。
 9月1日に、専攻科1年生山内、杉井、鍵山と吉田、伊藤(孝)、福地の3名が、福岡発上海経由のアシアナ航空便で、夜の7時30分に威海空港に着いた。空港には国際交流室の黄さんが迎えに来てくれた。9時にハルピン工業大学に着いた。自動車学院の趙副学院長と海洋生物学院の雷さんが、夜遅いにもかかわらず、出迎えてくれて、大学の近くのレストランで遅い夕食をごちそうになった。我々はハルピン工業大学のキャンパスの近くの縁創ホテルに宿泊し、学生は大学の寮に宿泊した。
 9月2日は、自動車学院見学をおこなった。電気自動車の試作品、造船学院の水流試験装置などを見学した。造船学院は、もとは自動車学院の一部であったが、最近、分離した。
 9月3日は、午前中、自動車学院の「エンジン工学」と、理学部数学科の「写像」の二つの授業を聴講した。講義は中国語で行われるので、何を話しているのかはわからないが、図と数式は万国共通であり、エンジン工学ではsinやcosを使って力のつりあいを説明していることがわかった。数学の授業は、「距離空間」の「連続写像」の講義であった。中国で、応用を念頭においた工学ばかりでなく、純粋学問を勉強していることに驚いた。教室は、いずれも80人を収容できる大きさで、50人ほどが聴講していた。「エンジン工学」のクラスでは、2,3人の学生が携帯電話をいじったり寝ていたりしたが、「写像」のクラスは全員が真面目に聴講しており、宇部高専とのちがいを痛感した。講義は、黒板とパソコンを使った講義で、その点でも、宇部高専より進んでいる印象を受けた。マイクも備わっており、先生は、ゆっくりと、学生を見据えて話をするので、(中国語がわかる人間には)聞き取りやすい講義であった。ただ、ひとつの式を書いた後の先生の話が長いため、授業が進む速さは、非常にゆっくりしているように感じられた。
 午後は工場見学をおこなった。これは、こちらから中国企業の工場見学をしたい希望をだしていたのを趙副学院長が実現してくれたもの。大学キャンパスから車で30分ほどのところにある「威海宏泰」という、空港や港湾で使用する特殊自動車を製造する会社を見学した。全社で従業員が700人ほどの会社で、工場長がハルピン工業大学の出身で趙副学院長の知り合いであるため、快く見学を引き受けてくれた。広い工場に作りかけの特殊自動車が何十台も並べてあり、従業員が機械加工、溶接、組み立ての作業をおこなっており、いかにも「ものづくり」をしている感がある工場であった。

ハルピン工業大学

自動車学院の電気自動車の見学

造船学院の小型の水流試験装置。さらに大きい水流試験装置もある。

自動車学院の電気自動車の見学

エンジン工学の講義。黒板とスクリーンを同時に使用する。

威海宏泰の見学。威海宏泰は特殊自動車を製造する会社。

学生食堂での自動車学院の学生との会食
 9月4日は午後から、自動車学院と合同シンポジウムをおこなった。自動車学院は、昨年完成したばかりの立派な研究棟のなかにある。シンポジウムは広くてきれいな会議室でおこなわれた。何もかも新しく、ハルピン工業大学の学生も慣れていないためか、パソコンの設定にとまどっていたが、シンポジウムが始まると、そのあとはスムーズに行われた。山内、杉井、鍵山が宇部高専の紹介と自分たちの研究紹介を英語でおこなった。そのあと、自動車学院の学生3人が研究発表をおこなった。二人は英語で、一人は中国語で発表した。中国の学生の英語は、宇部高専の学生の英語よりも、はるかに上手だった。中国側の発表内容は、自動車にはねられた人間がはねとばされるときの衝撃に関する研究と、ライントレースロボットの試作と自動車のバンパーの設計に関する発表であった。バンパーの設計の発表は、グラフィックスソフトを使った非常にきれいなものだった。
 威海に滞在しているあいだ、自動車学院の趙研究室のドクターコースのZhu Yueyingとふたりのマスターコースの学生Wang Yu(王宇)、 Zhang Zipong(張子鵬)が、ほとんど付きっきりで、我々の応対をしてくれた。マスターコースの学生は、卒業後、ひとりは一汽自動車に就職し、ひとりはフォルクスワーゲンに就職したいと話していた。自動車学院の卒業生は、ほぼ100%、大手企業に就職でき、彼らも一流大学にいるというプライドをもっているように感じられた。ドクターコースのZhu君はスタッフとして大学に残ることを希望していた。彼らは日本の学生にとても興味を持っていて、我々の学生に英語で話しかけて、いろいろなことを聞こうとしていたが、残念ながら我々の学生は満足に答えられなかった。

自動車学院の学生との記念撮影

趙副学院長の研究室

自動車学院の趙研究室の学生との記念撮影。「汽車」は自動車のことである。
 9月5日は生物学院の雷先生と自動車学院のZhu君と一緒にハイキングに出かけた。ハルピン工業大学の自動車で1時間30分かかって泰溥頂の登山口につき、そこから登山を開始した。約2時間かかって山頂(923m)についた。天気は快晴で、かなり汗をかいた。頂上に売店があり、ビールとつまみを買って、乾杯した。もちろん冷蔵庫はなく、ビールは冷えていなかったが、それでも、とてもおいしかった。
 9月5日の夜9時に、畑村先生と一田先生が威海に到着した。彼らは出迎えもなく、威海空港から寂しくふたりだけでタクシーにのってホテルまでやってきた。ホテルのチェックインを済ませると、ふたりでホテルの近くのレストランで夕食をとった。このような芸当は、中国に一年留学した経験のある畑村先生にしかできない。
 9月6日は、自動車学院と2回目の合同シンポジウムをおこなった。4日のシンポジウムの参加者とは別の学生を趙先生が集めてくれた。これは、趙先生が、一回目のシンポジウムの後で、我々とのシンポジウムが学生の教育になると判断して、私と伊藤先生が威海を離れる前に、急遽、2回目を実施したものだった。そのシンポジウムでは、吉田が現代GPの取り組みについて説明し、伊藤がフラクタル理論について講義をおこい、福地が物質工学科の紹介をおこない、さらに一田が自動制御の研究発表をおこなった。司会は自動車学院の学生がおこなったが、彼は、非常に英語が堪能であった。ひとりの自動車学院の女性が熱心に質問していたが、彼女も英語が堪能であった。このときは、われわれの講演だけで時間がなくなってしまい、残念ながら自動車学院の学生の講演を聞くことはできなかった。
 9月6日の昼から、私と伊藤先生は、学生たちと別れ、上海に移動した。
 9月7日は温州大学を訪問した。温州市は上海の南300kmにある。観光都市ではないため、日本人にはあまり知られていないが、人口780万人の巨大都市である。昔から商業で栄えた街で、現在もとても裕福な街である。南国の雰囲気があり、ヤシの街路樹がきれいに植えられている。道路は広く、よく整備されており、日本のどの都市と比べてもきれいであるように思えた。工業は、重化学工業ではなく、服やメガネといった軽工業が中心であるため、煤煙も少なく、空気も澱んでいないように感じられた。
 温州大学は学生数2万人で、修士課程まであり、博士課程はない(申請中)。我々が訪問した日に、たまたま石巻専修大学の学生7人と教員一人がインターンシップにやってきたため、夕食会に同席させてもらった。夕食会には温州大学のXue Wei副学長とDavid Xiong(熊勇)国際交流室長が出席した。Xue Wei副学長が中国語で歓迎のスピーチをし、日本語の話せるYu Xiangquin(余向前)商学院教授が日本語に翻訳した。学生の歓迎会であるから、強い酒はでず、中国ではめずらしくワインがでた。夕食会のあと、日本からの訪問者全員に記念品をくれた。

温州市の風景

温州市の風景

温州大学のキャンパス

温州大学のXue Wei副学長(左側)の挨拶

馬光機械工学科長(中央の白いシャツの人)との会談
 石巻専修大学は昨年から温州大学でインターンシップをはじめた。昨年は中国語の研修を中心にインターンシップをおこなったが、あまり、うまくいかなかったらしい(残念ながらその理由を聞く時間がなかった)。それで、今年は、レクリエーションや観光など、いろいろなことを取り入れることにし、温州には9日間滞在し、上海に2日間滞在すると引率の丸岡准教授が話してくれた。
 温州大学のキャンパスは2000年に完成したばかりで、新しくきれいなキャンパスだった。9月8日は、温州大学歴史記念館を見物した。大学の歴史を紹介する施設で、非常に立派なものだった。中国では、こういった施設にお金をかけるのはよくあること。次いで、Ma Guang(馬光)機械工学科長と面談した。日本語の話せる機械工学科の任明教授と張教授のふたりが同席した。彼らは我々の訪問を知ってから、宇部高専のホームページを調べており、私がレーザーの研究をしていたことなどをしっていたのには驚かされた。機械工学科は学生数が1学年100人で、学士課程しかなく、また、卒業生の30%は就職できないということだった。大変親切に応対していただいたが、実験装置をみせてくれるように頼んだときは、みせるような装置は、まだないと断られた。伊藤先生は、テーブルの反対側で、経営学科長と話をした。
 昼の飛行機で上海にもどり、翌日、宇部に戻った。

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