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現代GP「東北アジア地区交流による実践的技術者育成」活動記録

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 25.H22年コムソモリスク工科大学、アムール人文教育大学での研修
    (平成22年9月19日~10月3日)
専攻科長 吉田政司

参加者、学生:生産システム工学専攻 村井勇太、宮本一期、山根秀之、弓立貴文、教員:吉田政司(機械工学科)、南優次(一般科)

日程
9月19日(日) 福岡18:10~19:30インチョン(インチョン泊)
9月20日(月) インチョン10:30~16:00ハバロフスク、コムソモリスク工科大学の車で
          コムソモリスクへ移動しコムソモリスク工科大学の寮に宿泊
9月21日(火)~9月30日(木) コムソモリスク滞在
10月1日(金) バスでハバロフスクへ移動(ハバロフスク泊)
10月2日(土) ハバロフスク16:40~17:50インチョン(インチョン泊)
10月3日(日) インチョン9:30~10:50福岡

研修の概要
 10日間のコムソモリスク市滞在中に、コムソモリスク工科大学、アムール人文教育大学を訪問し、外国語学科を中心に、いくつかの学科と交流をおこなった。コムソモリスク工科大学では、学生が、七つの日本語クラスで日本文化の紹介を中心とした日本語での授業をおこない、一つの英語クラスで英語での授業をおこなった。また、材料工学科の二つのクラスで、学生が研究紹介をおこなった。先方からは、材料工学科の修士、および4年生の研究を紹介してもらい、また実験の様子を見学した。さらに、環境工学科では、南先生のアムール川の環境問題を扱う英語教材開発計画を紹介し、先方からは、カリキュラムの紹介や研究の紹介を受けた。アムール人文教育大学では、英語クラスと日本語クラスの学生と交流した。また、デザイン学科を見学した。
 また、ロシアの大手企業であるアムールメタルの製鉄所を見学した。さらにマテリアルサイエンス・ナノテクノロジー国際会議に参加し、2件の研究発表をおこなった。他に、先住民族であるナナイ族の博物館を見学し、ロシアのクラシックオペラ「シルバ」を鑑賞し、熱帯植物園を見学し、アムール川でクルージングをおこない、コムソモリスク市内各所の散策をおこなった。

研修日誌
9月20日(月)
 夕方4時にハバロフスク空港に到着すると、空港には、コムソモリスク工科大学国際交流室のアンナが迎えにきてくれていた。そのまま、大学の車でコムソモリスクへ移動した。我々が6人の団体であったため、迎えの車に全員が乗れるか心配していたが、工科大学の用意してくれていた車が11人乗りのトヨタハイエースであったため、大きな荷物を抱えた6人が楽に乗ることができた。ちなみに工科大学には15台の公用車(8台が日本車)があるということだった。コムソモリスク市には夜の11時につき、すぐに大学の寮に入った。

9月21日(火)
 午前は、最初にShpilev学長とNikitin副学長に挨拶をした。学長は、我々をいつでも歓迎するとおっしゃってくれた。次いで、機械工学科のKim教授とBashkov教授と挨拶をした。彼らが、今回のメインホストを務めてくれた。
 学長たちとのあいさつの後、環境学科を訪問し、5人の5年生(ロシアでは欧米式の大学とちがって、学部教育が5年ある)の学生から環境学科のカリキュラムの説明を受けた。環境学科の教育・研究は、水質汚染や大気汚染などのいわゆる「環境問題」と、工場労働者の安全を扱う「労働安全」の二つが柱になっているということだった。
 午後からは、私と南准教授は、環境学科のStepanova教授と面談し、南准教授が進めているアムール川環境プロジェクトをテーマとした英語テキスト作成についてデイスカッションをおこなった。南准教授のプロジェクトは、日中ロ3カ国の研究者が、アムール川の環境問題について、2005年から5年間の共同研究を実施してまとめたアムールプロジェクトの記録と、アムール川の生態を、釣り人の立場から記録したコムソモリスク市民スミルノフの著作「アムール川の釣り」をまとめて、日中ロ3国で使用できる英語のテキストを作成するという大きな構想のプロジェクトである。今回の南准教授のコムソモリスク工科大学訪問は、そのテキストに、アムール川の環境について研究しているStepanova教授のコメントと研究論文も取り入れたいという目的が含まれている。Stepanova教授は、面談の中で、特に日中露間のアムール・オホーツクプロジェクトに関心を持たれた様子だった。教科書作成は、今後の作業過程の中で、内容が具体化していくものと思われる。また面談中、Stepanova教授の学科編集によるアムール川に関する論文集の日本出版の話が提案された。アムール川に関する興味の深さが感じられる面談であった。その間、学生は、環境学科の学生と歓談をおこなった。学生だけでの交流で、「言葉」の問題では、かなり苦労したようだった。
 夕食の後、6時45分から8時15分まで、日本語学科のクラスに参加した。最初に、ロシアの学生が、いくつかのロシアの民話について、日本語で紹介してくれた。紹介は、パワーポイントに動画を使った、レベルの高いものだった。彼らは技術系の学生ではないが、プレゼンテーションの技術は、宇部高専の学生のレベルと同じであるように思われた。引き続いて、日本の学生が、自己紹介と、日本文化の紹介として、日本の年中行事、アニメ、サッカー、野球などの説明をおこなった。日本の学生のプレゼンテーションも、絵や写真を多く使った、わかりやすい説明であった。日本語学科との交流では「言葉」の問題も少なく、授業は和やかな雰囲気で行われた。ロシアの学生は好意的に我々を受け入れてくれた。それでも、初日から、多くの会談、授業をこなし、とてもハードな一日であった。

9月22日(水)
 二日目は、午前中に2回の、日本語クラスでの授業があった。やはり、最初にロシアの学生がロシアの紹介をし、その後、我々が日本の紹介をおこなった。ロシアの紹介内容は、ペテルスブルグの紹介で、内容が重ならないように配慮されているようだった。日本学生は前日と同じ内容の日本紹介をおこなった。
 午後は、二版に分かれ、吉田、弓立、山根が材料学科で研究発表をおこない、南、村井、宮本が、英語学科で日本紹介をおこなった。材料学科の学生は4年生で、教室に一杯の学生が集まり、ほかの部屋からイスを運ばなければならなかった。司会はBashkov教授が行った。最初に吉田が宇部高専の紹介をおこない、弓立、山根が、それぞれ「TiB2焼結助剤としてのAl3Tiの効果」、および「農業用トラクターの振動特性」について研究紹介をおこなった。紹介は英語でおこなわれたが、前もって作成した原稿を読むだけであるため、特に問題もなく発表を終えた。ロシアの学生は、専門科目の発表を英語で聞くことが初めてのようで、内容がよく理解できていないように思われた。昨日の環境学科の学生と比べて、材料学科の学生は英語力で劣るように思われた。
 南准教授、村井、宮本のグループは、英語クラスで日本紹介をおこなった。英語クラスの学生は、当然、英語が堪能であるのに対し、日本の学生は、十分に英語での発表の準備ができていなかったため、発表中にロシア学生の失笑を買う散々なものであったらしい。昨年も、英語クラスでの発表は同様の結果であり、今年も問題が改善できなかった。

Nikitin副学長との会談の様子

環境学科の紹介

環境学科のStepanova教授との会談。

ロシア学生のプレゼンテ-ション

日本語クラスの授業(一回目)

日本語クラスの授業(2回目)

学生の日本紹介の様子

日本語クラスの授業(3回目)
 夕方6時からは、国立劇場でオペラを鑑賞した。材料学科のKim教授が招待してくれたもので、Kim教授夫妻とBashcov教授夫妻も鑑賞した。私は、これまでにオペラを見たことがなかったので、正しく論評することができないが、西洋のオペラに、ロシアのモダンダンスをはさんだ、ロシア独特のオペラのように思われた。題名は「シルバ」で、ハンガリーの作曲家の作品だった。内容は、シルバとエドウィンが、互いに愛し合っているけれども、シルバの両親が、シルバを別の男と結婚させようとする話である(らしい)。残念ながらロシア語であったため、内容の詳細はわからなかったが、会話の場面では頻繁に笑いが起こり、ユーモアを交えたものであるらしかった。本物のオーケストラが、舞台の下の狭い部屋にはいって演奏し、オペラ役者の歌も本格的なものであった。会場は1000人近く入る立派なもので、満員の盛況であった。ハバロフスクの劇団が、毎年、この時期に、2週間、コムソモリスクで興演を行うということで、ロシア人が、芸術を愛する民族であることがわかった。

9月23日(木)
 午前中はナナイ博物館を訪問した。最初の予定では、造船所の見学になっていたが、造船所でクレーンが倒壊する事故があったため、残念ながら、計画を変更したものである。ナナイ博物館はコムソモリスク市郊外のナナイ民族の住む村の学校の一室に設けられている。博物館には、ナナイ族の衣装、テント、呪術に使った道具などが展示されている。ナナイは、昔からコムソモリスク市近辺のアムール川流域にすんでいる民族であり、生活様式や、風貌が、日本のアイヌによく似ている。ナナイ村には500人の人が住んでおり、その半分がナナイ族である。博物館のある学校は、小学校、中学校と高校を兼ねており、生徒は全部合わせても、たったの50人であるということだった。ナナイ族の学生は、ロシア語とナナイ語の両方を学習する。生徒数の割には大きな学校で、教室も明るくて広かった。博物館では、館長が丁寧に展示品の説明をしてくれた。民族衣装や生活用品は、ナナイの人が伝統を絶やさないように、今でも生産を続けており、展示品が古くなれば、新しいものに取り換えるようであった。そのため、日本の博物館とちがって、展示品を気軽に見学者にさわらせてくれた。
 午後はアムールメタルの見学をおこなった。アムールメタルはクズ鉄を溶解して造船用の厚板や建設用の条鋼を作る会社であり、クズ鉄を溶解する「転炉」があるが、鉄鉱石を溶解して鉄を作る「高炉」はない。スクラップヤード、転炉ともに迫力のあるものだった。熱い鉄が流れる、すぐそばまで近づいて見学させてくれたが、これは、安全にきびしい日本の製鉄所では考えられないことである。製鉄所とともに評価試験設備も見学させてくれた。評価装置は、おもにドイツ製の装置が使われており、成分分析や、強度試験など、日本の製鉄所と類似した試験が行われていた。秘密の部分もあり、それは見せないということだったが、学生にとって十分、満足のいく見学であったと感じられた。
 夕食の後、6時45分から日本語クラスで授業をおこなった。このクラスは社会人クラスであり、学生の中にはインターネットで日本のドラマを見ている学生もいて、日本語のレベルはかなり高く、また、プレゼンテーションも、ロシア現代絵画やロシアの音楽を紹介する、すばらしいものであった。日本の学生も、プレゼンテーションに慣れてきて、しかも、前日の「英語」とちがって、得意な「日本語」での発表であり、堂々と、自信をもって発表していた。

9月24日(金)
 午前は、材料学科2年生に対して、村井、宮本が、それぞれ、「農業用トラクターの振動解析」と「画像解析による人間の皮膚の検出」の2件の研究紹介をおこなった。発表は英語で実施されたが、原稿を、十分に準備をしていたため、特に問題もなかった。その後でBashkov教授の実験室を見学した。Bashkov教授は、アコースフティックエミッション(物が壊れるときに音を出す現象)をもちいた非破壊検査の研究をおこなっており、世界標準であるINSTRON社製の引張試験機を用いた、ステンレス鋼の引張変形時のアコースティックエミッションの測定を実演してくれた。また修士課程の学生サーシャが、研究を紹介してくれた。サーシャの研究は、多結晶体試料の粒界を、画像解析を用いて識別するためのプログラムの作成であり、MATLABを用いた、きれいにまとまったプログラムを完成させていた。コムソモリスク工科大学の装置は古いものが多いが、Bashkov教授の実験装置は最新の装置であり、また、研究のレベルも、日本の大学院と同等のレベルであるように思われた。
 午後からは日本語クラスの授業が、3つ続けてあった。いずれのクラスでも、まず、ロシアの学生がロシアの文化を紹介するプレゼンテーションをおこない、引き続いて、我々の学生が日本文化の紹介をおこなった。ロシア学生のプレゼンテーションの内容は、今年の8月に実施された、東京、長野、大阪での研修旅行の紹介だった。日本研修をおこなった学生は、堂々と自信を持って日本語で発表を行っていた。日本の学生は、箸の持ち方を説明した後で、箸を使ってまめをつかむゲームをおこなったが、ロシア学生はとても楽しんでいるようだった。ちなみに、コムソモリスク工科大学の日本語クラスは、正式な?外国語学科の学生のクラスと、一般人のクラスの2種類があるということだった。一般人のクラスでは社会人に交じって中学生や高校生も日本語を勉強していた。

9月25日(土)
 午前中は、コムソモリスク工科大学の日本語クラスの4人の学生が、街を案内してくれた。土産物を物色し、そのあと、クリープ店でクリープを食べ、コーヒーを飲んだ。
 昼食は、Bashkov教授宅に招待してもらってごちそうになった。Bashkov教授宅は10階建てマンションの7階で、とても見晴らしがよかった。建物は、大変、古めかしく、エレベーターも、いつ止まっても不思議でない代物だったが、部屋の中はとてもきれいに装飾されていた。3DKの部屋(ロシアのマンションの統一規格?)にBashkov夫妻と子供4人の合計6人が暮らしていたが、子供が大きくなると、少し(かなり?)手狭になりそうだった。大型冷蔵庫が2台あり、32インチの液晶テレビが各部屋にあり、ピアノやパソコンもあって、生活は、かなり裕福そうだった。Bashkov教授は日本びいきで、カメラもニコンのデジタル一眼レフを愛用しているが、テレビは、残念ながら、3台すべてがサムソン製であり、日本の置かれている現状がよくわかるように思われた。
 ランチのあと、コムソモリスク工科大学のアレキサンドル副学長が、アムール川のクルージングに招待してくれた。コムソモリスクは、この時期、雨が降ることが多いが、幸い、この日は快晴だった。クルーザーは、ベッドが4つある本格的な船で、副学長は、毎年、アムール川を下って、太平洋まで、2週間のクルージングを楽しむということだった。日本とちがって、大学教授は、皆、優雅な生活をおくっているようだ。おだやかなアムール川を2時間のクルージングを楽しんだ。岸辺では、何人もの釣人が釣りを楽しんでおり、穏やかでのどかな午後だった。

9月26日(日)
 アムールスカ市の熱帯植物園を見学した。アムールスカ市はコムソモリスク市から40km、アムール側をさかのぼったところにある、人口4万人の小さい街である。熱帯植物園は、園内がスチームで暖房されており、ヤシやバナナ、ブーゲンビリヤなど、熱帯の植物が生い茂っている。常盤公園の植物園と比べて、建物は狭いが、中の雰囲気は、非常に似ている(同じ樹が植えられているので当り前か?)。熱帯植物園に、簡単な水族館が付随しているところも似ている。我々のほかに、コムソモリスクから、1台のバスを借り切ってロシア人の団体が見学に来ていた。日本でもロシアでも、どこでも、人間のすることは同じようなものだと感じられた。ちなみに、コムソモリスク市内には、常盤公園の遊園地に似た遊園地があり、小さなジェットコースターや急流(緩流?)すべりがある。コムソモリスク市の人口28万人に対して宇部市の人口18万人、一方はアムール川に面した工業都市で、一方は瀬戸内海に面した工業都市であり、人々の生活も、おのずから似てくるのだろうか。


材料学科での研究発表

開演前のオペラ劇場

劇場の内部

ナナイ博物館。右は、ナナイ族の子孫で、日本学生が着ている魚の皮製の衣装の作者

アムールメタルの溶鉱炉

アムールメタルの溶鉱炉

アムールメタルのスクラップヤード

日本語クラスの授業(4回目)

材料学科4年生への研究紹介

日本語クラスでの授業(5回目)

日本語クラスでの授業(6回目)。マリア先生の息子(15歳)とクラスメートが混ざっている。

日本語クラスの授業(7回目)一般クラスで、受講者は13歳から20歳まで

材料学科2年生への研究発表

Bashkov教授の研究室で。

日本語クラス学生との市内散策

バシュコフ教授宅にて。バシュコフの長男は15歳だが、宇部高専の学生よりも「しっかり(堂々と)」と英語を話す。この点に日本の英語教育の問題点があるようにおもわれる。

アムール川クルージング

アムール川にかかる二つの橋のひとつ。アムール側にはハバロフスクとコムソモリスクにひとつずつ橋がある。

コムソモリスクの街の風景。9月下旬で、既に冬の服装。

アムールスカ市の熱帯植物園。
9月27日(月)
 吉田と弓立はコムソモリスク工科大学創立55周年を記念して開催された「マテリアルサイセンス・ナノテクノロジー国際シンポジウム(以後「国際シンポジウム)と略記)」に参加した。残り4名はアムール人文教育大学で交流をおこなった。以下では国際シンポジウムの様子を報告する。
 10時からオープンセレモニーがコムソモリスク工科大学の講堂で開催された。Shpilev学長があいさつし、次いでコムソモリスク市、およびハバロフスク州の教育委員長のあいさつがあり、企業を代表してスホイ航空機社長のあいさつがあった。あいさつに引き続いて、コムソモリスク工科大学学生によるコーラス、演舞、ならびにダンスによるエンターテイメントがあった。ダンスでは、男性二人が女性ふたりにモーションをかけ、それを女性がつれなく袖にするというコミカルなもので、日本にはない、ロシア独特のセンスが感じられるものであった。
 昼からは、バスで、アムール湖畔のホテルに会場を移した。

9月28日(火)
 この日は1日、シンポジウムが開催され、午前10件、午後に10件の発表が行われた。午前のトップに、吉田が「画像解析を用いた純鉄の塑性変形挙動の研究」について発表し、次いで、弓立が「TiB2焼結助剤としてのAl3Tiの効果」について発表した。ロシアの研究者は、日本の研究発表に大変興味をもっており、多くの質問、コメントを受けた。次いでヤクーツクの国立研究所のValery Lepov教授、ハバロフスク工科大学のBerkotirov教授などの研究発表があった。発表は、残念ながらロシア語であったが、Bashkov教授の妻で、材料学部の講師であるターニャが内容を簡単に説明してくれた。ロシアの研究者の発表は、プレゼンテーション資料のデザインがよく工夫されており、見やすく、しかも美しいものであった点に特に感心した。また、発表後には、多くのデイスカッションが行われ、時間に関係なく、徹底的に議論が行われた。マテリアルサイエンス、コンピューターモデリングや物性評価など、いくつかの分野の研究発表が行われ、それらに対して、いろいろな分野からの質疑が行われていた。この点も、研究会の分野が細分化され、狭い領域の研究者だけで議論が行われる日本の学界とは異なっていた。議論が長引いて、発表の時間が足りなくなったため、若手研究者と遠方からの参加者の発表を優先的におこない、コムソモリスク工科大学や近辺の大学の年配研究者の発表をカットしたということだった。このようなことも、日本ではありえないことである。

9月29日(水)
 前日に引き続いてシンポジウムが行われた。この日はBashkov教授の二人の学生の発表があった。修士課程の学生のサーシャは「画像解析による結晶粒界の識別」を、4回生のジニヤは「アコーステイックエミッション測定用ソフトの開発」について報告した。学生の発表も、非常に堂々と行われた。ジニヤは、成績が優秀であったため、特別に3年の初めから卒業研究を実施させ、4年生になったばかりであるにもかかわらず、今回のシンポジウムで発表したということである。国際シンポジウムのプロシーデイングも、非常に立派なものが作成されており、プロシーデイングにまとめられた論文は100件、会議の参加者は60名、口頭発表が行われた件数も60件前後であった。

9月30日(木)
 午前中、ホテルでくつろいだ後、昼からコムソモリスク市にもどり、市内散策をおこなった。今回のコムソモリスクでの研修は、予定通りすべての項目を修了した。
 アムール人文教育大学を訪問した4名は、9月27日から30日までの4日間に、日本語クラス、および英語クラスで、コムソモリスク工科大学の場合と同様の形で交流をおこなった。また、デザイン工学科を訪問し、木材を用いたデザインと衣装のデザインを見学した。

10月1日(金)
 朝7時のバスでハバロフスクへ移動した。早朝にもかかわらず、国際交流室のアンナとドライバーのセルゲイ、環境学科のイリーナと、イリーナの姉で、日本語クラスの社会人学生であるズベータが見送りに来てくれた。バスは、1列3人掛けのゆったりしたバスで、2時にハバロフスク駅についた。

10月2日(土)
 午前中、ハバロフスク市内を見学した後、タクシーで空港に移動し、16時30分発のアシアナ航空機でインチョンに移動した。

10月3日(日)
 午前9時30分発のアシアナ航空機でインチョンから福岡に移動し、福岡空港で解散した。


オープニングセレモニーでの学生の合唱

きわめてロシア的なダンス

国際会議での日本学生の発表。

国際会議でのロシア学生の発表。彼は、まだ、4回生であるが堂々と発表していた。

国際会議の会場の様子

国際シンポジウムはアムール河畔のリゾートホテルで行われた。

我々の世話をしてくれた国際交流室のアンナと運転手のセルゲイ。セルゲイは、とても親切で、とても愛嬌があった。

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